映画「スターダスト(2020年)」は、世界的ロックスターであるデヴィッド・ボウイの若き日を描いた作品です。
ただし、この映画はボウイ自身の公式な伝記映画ではなく、権利の問題で本人の楽曲は使用されていません。
そのため、多くの観客が期待した「デヴィッド・ボウイの音楽に浸れる映画」とは異なり、どちらかと言えば「ジギー・スターダスト誕生前夜の迷いと葛藤」に焦点を当てた作品となっています。
この記事では、映画で描かれたデヴィッド・ボウイ像と、実際のデヴィッド・ボウイのプロフィールを比較しながら違いを深掘りしていきます。
映画と実像を行き来することで、アーティストとしてのデヴィッド・ボウイがどのように形作られていったのかがより鮮明に見えてくるはずです。
映画「スターダスト(2020年)」のデヴィッド・ボウイ
映画「スターダスト」は1971年、アルバム『世界を売った男』を携えてデヴィッド・ボウイが初めてアメリカを訪れた時期にスポットを当てています。
まだ「ジギー・スターダスト」というキャラクターを生み出す前で、自分の音楽や表現がどこまで通用するのか、迷いを抱えた青年時代の姿です。
映画で描かれる未完成なアーティスト像
スクリーンに映し出されるデヴィッド・ボウイは、自分らしい表現を模索しながらも、まだその形を見出せていません。
ライブをしても聴衆に受け入れられず、音楽業界の人々からは「理解しがたい存在」と見なされてしまう。
奇抜なファッションや前衛的なアイデアを持っていながらも、それを自信を持って貫く段階には至っていないのです。
映画は、この「未完成のアーティスト」としてのボウイを強調します。
孤独と葛藤に光を当てる演出
映画の中でボウイは、家族の影や精神的な不安を背負いながら旅を続けます。
特に兄テリーの精神疾患の影響がボウイの心に大きくのしかかり、自分自身も同じ運命をたどるのではないかという恐怖が描かれます。
理解されない音楽、孤立感、そして自己不信。
映画は華やかなロックスター像ではなく、苦悩する青年の姿に焦点を合わせています。
音楽が使えないことによる表現のズレ
観客にとって驚きなのは、映画で本人の代表曲がほとんど登場しない点でしょう。
ボウイを題材にした映画なのに「スペイス・オディティ」も「ジギー・スターダスト」も流れない。
これは制作上の権利問題によるものですが、その結果として映画は「音楽映画」ではなく「人物ドラマ」としての側面が強調されました。
これは大きな違和感を与える一方で、逆に「ジギー誕生前夜」というテーマに集中させる効果を生んだとも言えます。
映画「スターダスト(2020年)」実話のデヴィッド・ボウイ
デヴィッド・ボウイは、20世紀から21世紀にかけて音楽とファッション、そして文化そのものを大きく変えた存在です。
一般的な「ロックスター」という言葉では括れないほど幅広い活動を行い、その人生には常に変化と挑戦がありました。
ここではデヴィッド・ボウイのプロフィールを誕生から晩年まで時系列に追い、音楽的な歩みや人間的な側面を深く掘り下げていきます。
幼少期からデビュー前の歩み
デヴィッド・ボウイは、幼少期から芸術や音楽に強く惹かれていました。
ロンドンで過ごした少年時代には、後の活動に影響を与える体験が数多く刻まれています。
1947年1月8日、ロンドンのブリクストンで「デヴィッド・ロバート・ジョーンズ」として誕生しました。
父親は慈善団体で働き、母親は映画館の案内係をしていました。
音楽やアートに恵まれた環境ではありませんでしたが、少年は早くから芸術に強い関心を持っていました。
小学生の頃から絵を描くことに夢中になり、同時にサックスの演奏を学び始めています。
少年時代のデヴィッド・ボウイは、学校の音楽教師からも「並外れたセンスがある」と言われていました。
ジャズに夢中になり、レスター・ヤングやジョン・コルトレーンを聴きながら音楽の耳を育てていきます。
13歳の誕生日には父親からサックスを贈られ、これが音楽家としての人生の第一歩になりました。
1960年代に入ると、デヴィッド・ボウイは次々とバンドを結成します。
「ザ・コナッズ」「ザ・キング・ビーズ」「ザ・マニッシュ・ボーイズ」といったグループで活動しましたが、大きな成果を得ることはできませんでした。
さらに、「デヴィー・ジョーンズ」という名前が当時人気だった「ザ・モンキーズ」のデイヴィー・ジョーンズと混同されることを避けるため、「デヴィッド・ボウイ」と名乗るようになります。
音楽活動の飛躍と変化の時代
1969年に「スペイス・オディティ」がヒットしたことで、デヴィッド・ボウイは一躍注目されます。
そこからは挑戦と変化の連続で、世界の音楽シーンを常に驚かせてきました。
1969年に発表された「スペイス・オディティ」は、アポロ11号の月面着陸とタイミングが重なり大ヒットとなりました。
この曲で初めてチャートのトップに立ち、「宇宙」というテーマは以降のボウイの象徴的なモチーフになっていきます。
しかし、続く作品は必ずしもヒットせず、キャリアは順風満帆ではありませんでした。
1972年、アルバム『ジギー・スターダスト』を発表。この作品でデヴィッド・ボウイは架空の異星人ロックスター「ジギー・スターダスト」という alter ego を生み出しました。
赤い髪と華やかな衣装、両性具有的なキャラクターは当時の常識を覆し、瞬く間に若者文化の象徴となります。
ジギーはボウイを世界的な存在へと押し上げましたが、その成功の大きさは同時に本人を疲弊させることにもなりました。
ジギーのイメージが固定化されることを嫌ったデヴィッド・ボウイは、わずか1年でジギーとしての活動を終えると宣言します。
その後はソウル、ファンク、アンビエント、ニューウェーブなど多様な音楽スタイルに挑戦し続けました。
1976年の『ステイション・トゥ・ステイション』、1977年のベルリン三部作『ロウ』『ヒーローズ』『ロッジアー』などは、ロック史の中でも革新的な作品と評価されています。
デヴィッド・ボウイは音楽だけでなく俳優としても存在感を発揮しました。
1976年の映画『地球に落ちてきた男』では孤独な宇宙人を演じ、その儚さと神秘性は大きな話題となります。
その後も『戦場のメリークリスマス』『ラビリンス/魔王の迷宮』など、多彩な作品に出演しました。
演技の場でも「型に収まらない人物像」を貫き、観客を魅了しました。
晩年と遺したもの
1990年代から2000年代にかけて、デヴィッド・ボウイは一時的に活動をセーブします。
心臓発作によって大規模なツアーから退き、メディアへの露出も少なくなりました。
しかし音楽活動そのものをやめることはなく、2002年の『ヒーザン』や2003年の『リアリティ』で健在ぶりを示しました。
そして、長い沈黙の後、2013年に突如『ザ・ネクスト・デイ』を発表します。
誰にも予告されずに公開されたこのアルバムは、世界中を驚かせました。
内容も力強く、再び音楽シーンに衝撃を与えました。
2016年1月8日、自身の69歳の誕生日にアルバム『★(ブラックスター)』をリリース。
そのわずか2日後、デヴィッド・ボウイはガンとの闘病の末に亡くなりました。
『ブラックスター』は死を見据えた作品として解釈され、遺作であると同時に「最後の芸術表現」として多くの人に強い印象を残しました。
デヴィッド・ボウイが与えた影響は音楽だけではありません。
ジェンダーや自己表現の自由を肯定した姿勢、時代ごとに変化するスタイルへの果敢な挑戦は、後のミュージシャンやクリエイターに計り知れないインスピレーションを与えました。
レディー・ガガやマドンナ、カート・コバーンなど、多くのアーティストがデヴィッド・ボウイを憧れの存在として語っています。
映画「スターダスト(2020年)」と実話のデヴィッド・ボウイの比較
映画と実際のボウイを比べると、いくつもの違いが浮かび上がります。
音楽使用の制限と映画の方向性
実際のデヴィッド・ボウイは、音楽そのものが最大の表現手段でした。
しかし映画では代表曲を使えなかったため、音楽的側面を深掘りすることができず、人間ドラマへとシフトしました。
結果的に映画は「音楽家の成長物語」というよりも「若き日のボウイの葛藤記録」という形にまとまりました。
観客の期待とのギャップは大きかったものの、逆に人物像に集中させる効果もありました。
精神的な不安の描写の差
映画では精神的に不安定な青年として描かれましたが、実際のボウイはその不安を創造力へと転換していきました。
兄の病は確かに大きな影響を与えましたが、それを芸術に昇華させた姿勢は映画では十分に描かれていません。
現実のボウイは不安を「弱さ」ではなく「創作の源泉」として抱えていたのです。
アメリカ滞在の意味づけ
映画ではアメリカでの活動が「失敗と孤立」として描かれました。
しかし実際には、その滞在中に出会った文化や音楽が後のボウイを形作る重要な財産となっています。
映画が切り取ったのは苦悩の一面に過ぎず、実像はもっと複雑で豊かなものでした。
映画的演出と現実のエネルギー
映画は時間の制約上、ボウイを「迷える青年」として描き切りました。
しかし現実のボウイは、迷いながらも常に次を模索し、猛烈なスピードで吸収と変化を繰り返していました。
映画で見えるのはその断片であり、実際には「止まることを知らない挑戦者」がそこに存在していたのです。
映画と実像を通して見えるデヴィッド・ボウイ像
映画「スターダスト」は、音楽的には物足りない部分もありますが、未完成な青年としてのデヴィッド・ボウイを描いたことで、スターの裏側にあった揺らぎを浮き彫りにしました。
実際のデヴィッド・ボウイはその揺らぎを超え、常に変化し続けることで唯一無二の存在となりました。
映画と実像を比較することで見えてくるのは、成功の裏にある「不安」と「模索」の時間こそが、後の輝きを生み出す源だったということです。
映画を観た後に実際のボウイの歩みを辿ると、そのギャップがむしろデヴィッド・ボウイの人間的な深みを際立たせてくれるでしょう。
まとめ
映画「スターダスト(2020年)」は、世界的なロックスターになる以前のデヴィッド・ボウイを描いた作品です。
音楽使用の制限があったためにボウイの代表曲は流れず、物語は「未完成な青年の葛藤」に焦点を当てました。
一方で、実際のデヴィッド・ボウイはその葛藤を創作のエネルギーへと変え、ジギー・スターダスト誕生や数々の音楽的変革を成し遂げました。
映画が切り取ったのは迷いの断片ですが、その裏には吸収と変化を繰り返す果敢な挑戦者としてのボウイがいました。
映画と実像を比較することで、スター誕生の裏にあった人間的な不安や模索が、後の革新を支える土台になっていたことが浮かび上がります。
映画を観たあとに実際のプロフィールを辿ると、ギャップがむしろデヴィッド・ボウイの深い魅力を際立たせるでしょう。
それでは最後までお読みいただきありがとうございました。
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