映画「蟻の王」実話のモデルは誰?映画との違いも紹介

映画「蟻の王」実話のモデルは誰?映画との違いも紹介
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映画「蟻の王」を観たあと、頭の中がずっと静かにざわついていました。

泣けるとか感動するとか、そういう分かりやすい感情じゃなくて、もっと嫌な残り方です。胸の奥に小さな石が残る感じ。

そして一番気になったのが「これ、実話なんだよね?」という部分でした。

映画の中で描かれる裁判の空気、家族の圧力、社会の視線。あまりにもリアルで、作り話には見えなかったんです。

この記事では、映画「蟻の王」の実話モデルは誰なのか、元になった事件は何なのか、そして映画と実話の違いはどこにあるのかを、できるだけ噛み砕いて整理します。

ネタバレも含みますが、史実を知ったうえで映画を見直したい人には役に立つ内容にします。

 

目次

映画「蟻の王」実話のモデルは誰?

映画「蟻の王」実話のモデルは誰?映画との違いも紹介

映画「蟻の王」の実話モデルを知ると、映画の怖さが一段上がります。

「昔の話」ではなく「現実に起きたこと」だったと分かった瞬間、背中が冷えるんですよね。

 

実話のモデルは詩人で劇作家のアルド・ブライバンティ

映画「蟻の王」の中心人物アルド・ブライバンティは、実在した人物です。

実話のモデルになったアルド・ブライバンティは、詩人であり劇作家であり、さらにアリの生態研究者としても知られていました。

ここがまず面白いところです。

アルド・ブライバンティは芸術家として語られるだけじゃなく、研究者としての顔も持っていた。

映画でもアリの描写が象徴的に出てきますが、あれは雰囲気づくりじゃなくて、アルド・ブライバンティという人物そのものの一部なんです。

「人間社会の秩序」と「アリの世界の秩序」を重ねて見せてくる感じが、妙に刺さりました。

アルド・ブライバンティは若者と交流する場を持ち、文化や芸術の話をしていた人物です。

その交流が「危険」と見なされ、事件へつながっていきます。

 

教え子の若者との関係が「事件」にされたのがブライバンティ事件

映画「蟻の王」がモデルにしたのは「ブライバンティ事件」と呼ばれる出来事です。

アルド・ブライバンティが若い男性と親密な関係になったことが、家族や社会に問題視されました。

ここが本当にややこしいんですが、当時のイタリアでは同性愛を直接裁く法律がなかったと言われています。

それなのに裁判が行われた。

じゃあ何の罪で裁かれたのか。

そこで出てくるのが、映画でも出てきた「教唆罪」という扱いです。

映画を観たとき、自分はこの教唆罪のところで一番気持ち悪さを感じました。

罪名が先にあって、人を当てはめていく感じがするんです。

本来なら「同性愛を裁く法律がない」なら、裁けないはずですよね。

でも裁かれた。しかも有罪。

この矛盾が、ブライバンティ事件の異様さです。

 

1960年代イタリアの空気が事件を加速させた

ブライバンティ事件を理解するには、時代背景が欠かせません。

1960年代のイタリアは、今よりずっと保守的で、同性愛はタブーとして扱われていました。

タブーって便利な言葉なんですよ。

誰も説明しないし、誰も向き合わないのに、「ダメ」で終わる。

映画「蟻の王」を観ていて怖かったのは、暴力そのものよりも「当然の顔で壊していく空気」でした。

家族が正しいと思っていること、社会が普通だと思っていること。

それが合わさると、人間って簡単に潰されるんだなと感じました。

自分はブログをやっていて、たまにコメント欄やSNSで「空気で殴られる感じ」を見ることがあります。

正論っぽい言葉で、逃げ道を全部塞いでくるやつです。

ブライバンティ事件は、その究極みたいな構造に見えました。

 

映画「蟻の王」と実話の違いはどこ?

映画「蟻の王」実話のモデルは誰?映画との違いも紹介

映画は映画なので、当然すべてが史実通りではありません。

ただ映画「蟻の王」は、脚色の仕方がいやらしいくらい上手いです。変に盛らない。そこが怖い。

 

映画は「裁判の理不尽さ」を体感させる構成になっている

映画「蟻の王」を観たあとに残るのは、事件の知識より「空気の気持ち悪さ」でした。

あれはたぶん、映画が裁判をドラマとして盛り上げるより、理不尽を体感させる構成にしているからです。

映画の裁判は、誰かが大声で怒鳴って盛り上がる感じじゃありません。

むしろ淡々と進む。

淡々と進むから、逃げられない。

実話でも、ブライバンティ事件は当時の社会に強い衝撃を与えたと言われています。

ただ一般の人が今それを知ろうとしても、資料は難しいし、情報は散らばっているし、正直しんどいです。

映画はそこをうまく翻訳して、観客の体に入れてきます。

知識じゃなく感覚で理解させる。

このやり方が、かなり効いていました。

 

映画のエットレ・タリアフェッリは「若さの危うさ」を強調している

映画の中でエットレ・タリアフェッリは、純粋で危うい存在として描かれます。

アルド・ブライバンティに惹かれて、世界が広がっていく。

でもその広がりが、家族から見ると「洗脳」に見える。

ここ、めちゃくちゃ残酷です。

本人の意志が「意志」として扱われない。

実話でも、若い男性が家族によって精神病院に入れられたという話が残っています。

映画では電気ショック療法などの描写が出てきますが、観ていて本当にしんどいです。

自分はこの場面を観たとき、映画なのに目を逸らしたくなりました。

痛いからじゃなくて、言葉が通じない世界に閉じ込められる感じが怖かったんです。

映画はエットレ・タリアフェッリの繊細さを強く描いている印象があります。

だからこそ、裁判での証言が余計に刺さります。

「アルド・ブライバンティは人生で最も大切な人」

この言葉が、社会に踏み潰されていく感じが残りました。

 

記者エンニオ・スクリバーニは映画的な視点の案内役になっている

映画「蟻の王」には記者エンニオ・スクリバーニが出てきます。

エンニオ・スクリバーニは共産党機関紙の記者で、事件を追う立場です。

エンニオ・スクリバーニの存在があることで、観客は事件を外側から見ることができます。

そしてエンニオ・スクリバーニの葛藤が、観客の葛藤にもなる。

映画を観ていて、エンニオ・スクリバーニが万能じゃないところが良かったです。

  • 正義のヒーローではない。
  • 言いたいことがあるのに言えない。
  • 踏み込みたいのに踏み込めない。

実話のブライバンティ事件でも、報道や世論の動きが重要だったと言われています。

ただ映画は、その複雑さを全部説明しません。

説明しない代わりに、エンニオ・スクリバーニの「無力感」を置いてきます。

自分はここがリアルだと思いました。

現実って、正しいことを思っても勝てないことが多いです。
声を上げたくても、生活や立場が邪魔する。

映画はそこをちゃんと見せてきます。

 

ブライバンティ事件はなぜ有罪になった?映画を観たあとに知りたくなるポイント

映画「蟻の王」を観た人が次に気になるのは、たぶんここです。

なんでこんな裁判が成立したのか。どうして有罪になったのか。

自分も観終わってから、そこが一番モヤモヤしました。

理屈じゃないとは分かっているのに、理屈で整理したくなるんですよね。

 

「同性愛を裁けない」から別の罪名で裁いた歪み

ブライバンティ事件が異常なのは、同性愛を裁く法律がなかったのに、裁判が成立してしまったことです。

そこで出てくるのが教唆罪です。

映画の中でも説明がありましたが、同性愛を同性愛として認められない。

だから別の形で罪にする。

この発想が、もう歪んでいます。

でも、歪んでいるのに成立してしまう。

社会の空気がそれを許してしまう。

この構造が怖いです。

ブログでも似たようなことが起きます。

規約違反じゃないのに、空気で叩かれる。

間違ってないのに、嫌われたら終わる。

ブライバンティ事件は、そういう「空気が法律より強い」瞬間の極端な例に見えました。

 

家族の「正しさ」が一番の武器になる恐ろしさ

映画「蟻の王」で一番しんどいのは、家族が悪人として描かれすぎていないところです。

母親マッダレーナ・タリアフェッリも、兄リッカルド・タリアフェッリも、愛がないわけじゃない。

むしろ「守りたい」と思っている。

だからこそ止まらない。

自分はここが一番リアルで、一番きつかったです。

悪意ならまだ分かるんです。

でも善意っぽい顔で壊されると、逃げ場がなくなる。

  • 「エットレ・タリアフェッリのため」
  • 「家族のため」
  • 「世間のため」

こういう言葉って、反論しづらいんですよね。

反論した瞬間に、悪者にされる。

映画はそこを淡々と描いていて、観ている側の心も削ってきます。

 

まとめ

映画「蟻の王」の結末は、派手な逆転劇がありません。

アルド・ブライバンティは有罪が確定し、刑務所に入ります。

エットレ・タリアフェッリは精神病院を出て、一人で生きていきます。

そして再会する。抱き合う。

でもそれで終わり。

ここが、観終わったあとにずっと残る理由だと思います。

「救われた」と言い切れない。

「終わった」とも言い切れない。

自分はあの再会シーンを観たとき、嬉しいより先に苦しくなりました。

抱き合えたのに、戻れない時間が多すぎるんです。

一瞬だけ温度が戻って、そのあとまた冷える感じがしました。

映画の最後に「二度と会わなかった」という余韻があるのも残酷です。

愛があっても、社会の傷は消えない。

その現実が、すごく静かに置かれます。

だから映画「蟻の王」は、観た直後より、数日後に刺さるタイプの作品でした。

ふとした瞬間に思い出してしまう。

あれはたぶん、実話だからこその重さもあると思います。

映画「蟻の王」の実話モデルはアルド・ブライバンティで、ブライバンティ事件が物語の土台になっています。

映画と実話には脚色や表現の違いはありますが、核にある「社会が個人を裁く怖さ」は変わりません。

そしてその怖さは、過去の出来事として片付けられない感触があります。

映画「蟻の王」を観たあとに「実話のモデルは誰?」と検索した人は、たぶん安心したいんだと思います。

作り話なら距離を取れるからです。

でも実話だと分かると、距離が取れなくなる。

自分はその距離の取れなさこそ、この映画の強さだと感じました。

しんどいけど、観てよかった。そう思える作品でした。

実話映画をジャンル別にまとめた一覧ページはこちらです。

ほかの実話映画も探したい場合は、こちらの記事からチェックできます。

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