映画「フェイブルマンズ」ローガン なぜ怒った?実話と映画の違いも紹介

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映画「フェイブルマンズ」の終盤で、ローガンが廊下でサミー・フェイブルマンに詰め寄る場面があります。

ローガンはサミー・フェイブルマンをいじめてきた側なのに、上映された映像の中ではローガンが「ヒーロー」みたいに見える。

だからローガンは怒ります。

怒り方もややこしいです。

殴りたいのか、理由を聞きたいのか、泣きたいのかが一つに決まりません。

この記事では、ローガンが怒った理由を、上映の直後から廊下の会話まで順番に書きます。

そのあとで、スティーヴン・スピルバーグの現実の経験と映画で変えた点も書きます。

 

目次

映画「フェイブルマンズ」ローガン なぜ怒った?

ローガンの怒りは、ビーチの映像が流れた直後に始まります。

 

ローガンはサミー・フェイブルマンをいじめる

カリフォルニアの高校で、サミー・フェイブルマンはローガンとチャドから反ユダヤ的ないじめを受けます。

ローガンは笑って見ているだけの場面もありますが、ローガンの立ち位置は「止める側」ではなく「いじめの輪の中」です。

だからビーチの映像が上映される前の段階で、ローガンはサミー・フェイブルマンから好かれていません。

ローガン本人も、その事実を分かっています。

ローガンはサミー・フェイブルマンに嫌われる理由を作り続けてきたからです。

 

ビーチの映像がローガンを神々しく見せる

いわゆるシニアのビーチ行事の映像を、サミー・フェイブルマンが16ミリで撮って編集して上映します。

会場の反応は大きく、ローガンは称賛される側になります。

ここがローガンの怒りの出発点です。

ローガンは、サミー・フェイブルマンが現実で見てきたローガンと、上映されたローガンが別物だと分かっています。

サミー・フェイブルマンの映像は、ローガンの筋肉や髪や動きを「かっこよく」切り取って、周りの生徒の視線をローガンへ集めてしまう。

ローガンはその変化に混乱します。

 

ローガンの怒り

ローガンは廊下でサミー・フェイブルマンに詰め寄り、「なぜ?」を繰り返します。

ローガンが聞きたいのは「仕返し」ではありません。

ローガンが聞きたいのは「理由」です。

ローガンの頭の中には計算があるはずです。

いじめた相手は自分を悪く撮る。恥をかかせる。

笑い者にする。ローガンはそれを覚悟して廊下に来ています。

ところが映像は逆でした。

ローガンが英雄みたいに見える。

ローガンはその扱い方が一番怖い。

ローガンは「優しくされる」形でコントロールされるのが苦手なタイプに見えます。

 

ローガンが怒ったのは

廊下の場面でローガンは感情をこぼします。

ローガンは泣きそうになります。

ローガン本人が一番隠したいのは、その瞬間です。

だからローガンは怒りながら「この話を外で言うな」と脅します。

ローガンはローガンで分かっているんだと思います。

ローガンはサミー・フェイブルマンへ酷いことをしてきた。

なのにサミー・フェイブルマンはローガンを良く撮った。

ローガンの中に罪悪感が混ざる。

罪悪感が混ざると、ローガンは自分の居場所が揺れます。

ローガンが怒っているのはサミー・フェイブルマンだけではなく、ローガン自身の中の揺れです。

 

ローガンの怒りが変えたこと

ローガンの怒りは、廊下の場面で意外な結果を生みます。

廊下にチャドが来てサミー・フェイブルマンへ手を出そうとします。

そこでローガンがチャドを止めます。

ローガンは今までいじめの側にいたのに、その瞬間だけはサミー・フェイブルマンの盾になります。

ローガンの行動は「急に優しくなった」ではなく、「自分の評判を守るため」も混ざって見えます。

上映されたローガンは学校のスターです。

スターのローガンが、上映直後に廊下で暴れるチャドを止めないと、上映の効果が汚れます。

ローガンはその汚れを嫌がる。

ローガンはローガンの顔を守るために動きます。

 

サミー・フェイブルマンは「映像の切り取り」で人を動かせると知る

サミー・フェイブルマンは、ローガンを褒めるために撮ったわけではないはずです。

サミー・フェイブルマンは学校行事の映像を作る仕事を引き受けた。

結果としてローガンは持ち上がり、チャドは笑われます。

ここでサミー・フェイブルマンは、カメラが「事実」を写す道具ではないと再確認します。

編集の順番、アップの選び方、光の当て方で、生徒の感情が動く。

ローガンの怒りはその証拠です。

ローガンが怒るほど、サミー・フェイブルマンの映像は効いています。

 

ローガンの顔が崩れる

自分はあの廊下の場面が一番きつかったです。

ローガンはサミー・フェイブルマンをいじめてきたのに、ローガンは上映された映像で「良い顔」をもらってしまう。

ローガンはその良い顔を返せない。

ローガンは返し方が分からない。

だから怒鳴る。

いじめの場面より、あの怒りのほうが後味が残りました。

ローガンの怒りは、ローガンの中の弱さを見せる怒りだからです。

ローガンは強いふりを続けてきた。

ところがサミー・フェイブルマンの映像が、強いふりを壊してしまう。

あそこはきれいな仲直りではありません。

 

映画「フェイブルマンズ」と実話の違い

映画「フェイブルマンズ」ローガン なぜ怒った?実話と映画の違いも紹介

映画「フェイブルマンズ」はスティーヴン・スピルバーグの少年時代を元にした設定です。

現実のスティーヴン・スピルバーグも、高校時代にユダヤ人であることなどを理由にいじめを受けたと話しています。

映画のサミー・フェイブルマンのいじめ描写は、この経験とつながる部分として語られます。

ただ、映画のローガンやチャドが「現実の誰と一対一で同じ」だと断言できる材料は多くありません。

映画は人物名も家族名も変えています。

映画は「同じ高校にいた誰か」の顔をそのまま出すより、映画の中で動きやすい形へ寄せています。

 

ローガンの廊下の場面

廊下の場面は、ローガンが混乱して怒り、最後はチャドを止めるところまで進みます。

映画はこの数分に「映像が人を変える瞬間」を詰めています。

現実の出来事は、映画よりもっと散らかった形だった可能性があります。

現実のいじめは、映画みたいに場面が一つにまとまりません。

現実のいじめは、廊下の角で終わらず次の日も続きます。

映画はそこを二時間半の中で見せ切る必要があるので、ローガンの怒りを「一度の場面」に押し込みます。

 

ジョン・フォードの言葉は「そのまま使った」

映画の最後で、サミー・フェイブルマンがジョン・フォードに会い「地平線は真ん中に置くな」と言われます。

この場面の台詞は、現実の出会いに合わせて言葉をそのまま入れた、と説明されています。

だから映画は「全部が事実」ではありませんが、「決めの言葉」は事実に寄せています。

スティーヴン・スピルバーグが何を大事にしてきたかが、最後の数分で見えます。

 

まとめ

ローガンが怒った理由は単純ではありません。

ローガンはサミー・フェイブルマンをいじめてきた。

なのにサミー・フェイブルマンの映像がローガンを格好良く見せた。

その矛盾がローガンの顔を崩し、ローガンは怒鳴りながら理由を聞く。

映画はこの場面で、カメラが「復讐」より怖いことを見せます。

サミー・フェイブルマンは殴り返さずに、編集で学校の空気を動かしてしまう。

ローガンはその力を感じて、怒りながら怯えます。

実話のスティーヴン・スピルバーグにも、いじめを受けた経験があると語られています。

映画はその経験を土台にしながら、ローガンの怒りを「映画の形」に押し込み、最後にジョン・フォードの言葉で出口を作ります。

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