映画「ヘルムート・ニュートンと12人の女たち」ヘルムート・ニュートンのプロフィール!映画と実話の比較も紹介

映画「ヘルムート・ニュートンと12人の女たち」ヘルムート・ニュートンのプロフィール!映画と実話の比較も紹介
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映画「ヘルムート・ニュートンと12人の女たち」は、ファッション写真家ヘルムート・ニュートンを「すごい写真家だった」と持ち上げて終わる作品ではありません。

ヘルムート・ニュートンと仕事をした女性たちが、撮影現場で何を求められたのか、どこが面白かったのか、どこが嫌だったのかを、揃わない言葉で語り続けます。

そこにスーザン・ソンタグの批判映像まで入るので、観る側も落ち着きません。

この記事では、まずヘルムート・ニュートンのプロフィールを時系列で整理します。

ベルリンで生まれ、迫害から逃れて国を出た経緯、ジューン・ニュートンとの出会い、ヴォーグやプレイボーイで仕事を重ねた流れ、2004年の事故死までを分かりやすくまとめます。

そのうえで、映画がどこを強調し、どこを削っているのかを「映画と実話の比較」として紹介します。

映画を観て引っかかった人が、ヘルムート・ニュートンの全体像を自分の言葉で整理できるように書いていきます。

 

目次

映画「ヘルムート・ニュートンと12人の女たち」ヘルムート・ニュートンのプロフィール!

映画「ヘルムート・ニュートンと12人の女たち」ヘルムート・ニュートンのプロフィール!映画と実話の比較も紹介

ヘルムート・ニュートンは1920年にドイツのベルリンで生まれています。

ベルリンで育ち、若いころから写真へ向かいます。

ただ、ベルリンで写真を学べる時代は長く続きません。

ナチスによるユダヤ人迫害が強まり、ヘルムート・ニュートンは1938年にドイツを離れます。

映画でも終盤にさらっと触れますが、この出来事は「転職」や「引っ越し」ではなく「生き残るための移動」です。

この背景を知ると、ヘルムート・ニュートンの写真に出てくる冷たい緊張の理由が少しだけ見えます。

笑顔の写真が少ない、という単純な話ではありません。

光が当たっていても空気が固い。あの固さが、後から効いてきます。

 

オーストラリアでジューン・ニュートンと出会い、仕事と生活が一体になる

ドイツを出たヘルムート・ニュートンはヨーロッパを離れ、オーストラリアに渡り、ジューン・ブラウンと出会います。

結婚後、ジューン・ブラウンはジューン・ニュートンとして映画に登場します。

映画の中でジューン・ニュートンは、撮影現場の空気を「妻の感想」ではなく「現場の記録」として語ります。

長身の女性が好きだったこと、ヌードばかり撮るので周囲から遊び人扱いされたこと、嫉妬するのかと何度も聞かれたこと。

どれも、言い方が生々しいです。

さらに重要なのは、ジューン・ニュートン自身も撮る側になっていく点です。

夫婦が同じ現場にいて、同じ人間を見て、違う距離から記録する。

この関係があるから、ヘルムート・ニュートンの人物像は「女性を撮る男」で固定されません。

 

ヴォーグやプレイボーイで名を上げ、ヌードと挑発がセットで語られるようになった

ヘルムート・ニュートンはヴォーグやプレイボーイなどで女性を撮り続け、ファッション写真の世界で強い存在感を持つようになります。

ヘルムート・ニュートンの写真は、服を見せるだけの写真とは違います。

視線が強い。立ち方が硬い。ハイヒールが武器みたいに見える。

部屋の奥行きが怖い。そういう要素が重なって、見た人の身体が先に反応します。

一方で、ヘルムート・ニュートンの写真は長年批判も受けます。

ポルノまがい、女性嫌悪、支配の匂いがある。

映画がそこを避けないのは良い点です。避けると嘘になります。

実際に揉めたからです。

自分はここで「挑発」という言葉が便利すぎると思いました。

挑発と言うと綺麗に片づくけれど、写真を見た側が感じるのはもっと直接的です。

嫌だ、気持ち悪い、怖い、でも目を離せない。

その連続です。

 

2004年の事故死と、ベルリンの財団が残した作品の置き場所

ヘルムート・ニュートンは2004年に交通事故で亡くなります。

場所はハリウッドで、映画はその最期まで触れます。

ジューン・ニュートンが「死に顔を覗き込む写真を撮った」と語る場面は、個人的に一番冷えました。

愛しているから撮ったのか、撮る人だから撮ったのか、その境目が揺れるからです。

ベルリンにはヘルムート・ニュートン財団があり、作品は保存され展示され続けます。

展示されるということは、肯定と批判の両方がこれからも続くということです。

ヘルムート・ニュートンの写真は、時間が経てば丸くなる種類ではありません。

むしろ、時代が変わるほど質問が増えます。

 

映画「ヘルムート・ニュートンと12人の女たち」とは?

映画の作りを押さえると、どこが刺さってどこで疲れるのかが分かります。

 

12人の女性の証言

映画の中心はヘルムート・ニュートン本人の武勇伝ではありません。

ヘルムート・ニュートンと仕事をした女性の証言が中心です。

シャーロット・ランプリング、イザベラ・ロッセリーニ、グレイス・ジョーンズ、クラウディア・シファー、ナジャ・アウアマン、ハンナ・シグラ、マリアンヌ・フェイスフル、シガニー・ウィーバーなどが登場し、現場で起きたことをそれぞれの言葉で語ります。

証言が揃わないのが、この映画の一番きついところで、一番正直なところです。

気持ちよかったと言う人がいて、嫌だったと言う人がいて、面白かったと言う人がいて、もう二度とやりたくないと言いたげな顔も出ます。

現場はそうなるよな、と納得してしまいます。

 

撮影の具体例

映画は具体例を次々に出します。

シガニー・ウィーバーの丸刈り頭と黒いタイツの撮影は、モノクロで撮る話として出てきます。

写真の目的が「役の記録」ではなく「姿の圧」になっているのが分かります。

グレイス・ジョーンズの話はもっと直接的です。

自然光を使い、ヌードの一瞬を狙い、ナイフを持たせる。

ナイフの意味は見る側に任せると言う。こういう構図の狙いは分かります。

でも分かった瞬間に落ち着くわけではありません。

むしろ、落ち着けなくなる。

さらに、宝石とチキンの話が出ます。

ブルガリの高価な宝石をつけた手に、脚付きチキンを持たせる。

高級品の世界に油と匂いを持ち込むようなやり方です。

関係者が卒倒しただろうと言うけれど、ヘルムート・ニュートンは面白がっている。

ここで、ヘルムート・ニュートンが「上品にまとめる人」ではないことが確定します。

 

「使う側」「嫌う側」

映画が賢いのは、撮られた側だけで終わらせない点です。

アナ・ウィンターが登場し、雑誌の編集長としてヘルムート・ニュートンの写真を必要とした理由を話します。

読者の反応が欲しい、記憶に残る写真が欲しい、そのためにヘルムート・ニュートンに頼む。言い方が仕事の人です。

そしてスーザン・ソンタグの討論映像が入ります。

スーザン・ソンタグはヘルムート・ニュートンの写真を女性蔑視だと批判し、遠慮しません。

司会者が困るくらい強い言葉が出ます。

この映像が入ることで、映画の中に逃げ道がなくなります。

ヘルムート・ニュートンの写真を「かっこいい」で済ませることも、「芸術だから」で押し切ることもできなくなります。

自分はここで一回止まりました。止まって、また再生しました。嫌でも考えさせられます。

 

ジューン・ニュートンの存在

映画はずっと刺激の強い話を続けますが、最後まで冷たくはしません。

理由はジューン・ニュートンです。

ジューン・ニュートンが語るのは、現場の裏話だけではありません。

ヘルムート・ニュートンがどういう人間として生活していたか、どういう誤解を受けていたか、夫婦としてどう過ごしていたか。

周囲の証言も重なり、ニュートン夫妻が敬意のある関係だったと語られます。

ここがあるから、ヘルムート・ニュートンは「女性を支配する側」とだけは言い切れなくなります。

言い切れなくなる瞬間が生まれる。映画はそこを狙っています。

 

映画「ヘルムート・ニュートンと12人の女たち」の実話の比較も紹介

映画「ヘルムート・ニュートンと12人の女たち」ヘルムート・ニュートンのプロフィール!映画と実話の比較も紹介

ここから映画と現実の違いを具体的に並べます。

仕事の範囲の見せ方が違う

実際のヘルムート・ニュートンは、ファッション、広告、肖像、男性被写体、都市風景など幅広く撮影しています。

映画はその中から「女性写真」と「ヌード」「挑発的構図」に集中します。

つまり、現実の活動範囲は横に広いのに、映画は縦に深く掘っています。

間違いではありませんが、偏りはあります。

映画だけ観ると、ヘルムート・ニュートンは常に過激な写真を撮っていた人に見えます。

 

時系列よりテーマ優先で並べ替えている

実際の経歴は年代順に積み上がっていますが、映画はテーマ順に並べ替えています。

ベルリン時代、移住、雑誌仕事、展覧会という順番ではなく、証言とエピソードの強さで配置します。

そのため、観る側はヘルムート・ニュートンのキャリアの伸び方より、「どんな写真を撮ったか」「どう揉めたか」を先に覚えます。

ここは映画的な編集です。

 

人物像のバランス調整が入っている

現実のヘルムート・ニュートンには、仕事仲間、編集者、男性モデル、クライアントとの関係もあります。

映画はそこをほぼ削り、ジューン・ニュートンと女性被写体に集中します。

その代わり、ジューン・ニュートンの証言を厚く入れて、家庭と人柄の側面を補強します。

結果として映画のヘルムート・ニュートンは、「挑発的な写真家」+「理解あるパートナーと暮らした人物」という形でバランスを取られています。

ここは編集による人物調整です。

 

まとめ

映画「ヘルムート・ニュートンと12人の女たち」は、観終わったあとに「好きだった」で閉じられません。

「嫌だった」でも閉じにくいです。

自分は観ながら何度か顔がしかめっ面になりました。

グレイス・ジョーンズの鎖の話で一度止まり、スーザン・ソンタグの討論で口が固まり、宝石とチキンの話で笑っていいのか迷いました。

でも、その迷いが残ること自体が、この映画の狙いだと思います。

ヘルムート・ニュートンの写真は、見る側に反応を出させます。

目をそらす、怒る、笑う、考える。

そのどれでもいいから反応しろ、と迫ってきます。映画も同じ動きをします。

だからこの記事の最後はこれで締めます。

ヘルムート・ニュートンを天才と呼ぶか、女性嫌悪と呼ぶか、その結論を急がなくていいです。

代わりに、どこで嫌だったのか、どこで面白かったのか、どこで笑いそうになったのかを一つずつ言葉にすると、ヘルムート・ニュートンの写真が「ただ強い写真」ではなく「自分の感情を引っぱり出した写真」に変わります。

映画「ヘルムート・ニュートンと12人の女たち」は、ヘルムート・ニュートンのプロフィールを知ってから観ると、ベルリンから逃げた過去、ジューン・ニュートンと現場を積み重ねた生活、ハリウッドで終わった最期までが、写真の硬い光とつながって見えます。

気分が良くなる映画ではありません。

でも、観終わったあとに誰かと話したくなる映画でした。

実話映画をジャンル別にまとめた一覧ページはこちらです。

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