映画 アンドレ・レオン・タリー 美学の追求者 を観たあとに気になるのは、だいたい三つです。
アンドレ・レオン・タリーのプロフィール、アンドレ・レオン・タリーの死因、そして映画で描かれた内容と現実の出来事のズレです。
この記事では、アンドレ・レオン・タリーの生年月日や学歴、雑誌での役職、どの媒体で何をしていたかを解説します。
映画「アンドレ・レオン・タリー 美学の追求者」アンドレ・レオン・タリーのプロフィール

アンドレ・レオン・タリーは1948年10月16日に ワシントンD.C. で生まれています。
育った場所は ダーラム です。
アンドレ・レオン・タリーの両親はアンドレ・レオン・タリーを祖母ベニー・フランシス・デイヴィスに預け、アンドレ・レオン・タリーは祖母ベニー・フランシス・デイヴィスの家で育ちます。
祖母ベニー・フランシス・デイヴィスは デューク大学 で清掃の仕事をしていたと伝えられています。
映画でも祖母の話が何度も出てきます。自分は、祖母の話が出てくるたびに、アンドレ・レオン・タリーの大きなコートより先に、台所の甘い匂いの話が頭に浮かびました。
祖母の記憶があるから、アンドレ・レオン・タリーは派手な服を着ても「浮いている人」に見えにくいです。
学歴とフランス文学
アンドレ・レオン・タリーは ノースカロライナ・セントラル大学 で学び、その後 ブラウン大学 でフランス文学の修士号を取得しています。
映画の中でアンドレ・レオン・タリーがパリの現場でフランス語を使う場面があります。
あの場面は「できるアピール」に見えませんでした。
会話の速度が仕事の速度に見えたからです。
フランス語を話せることが、服のセンスより先にアンドレ・レオン・タリーの武器になっていたことが分かります。
最初の仕事は無給の見習いから始まる
1974年、アンドレ・レオン・タリーは メトロポリタン美術館 のコスチューム・インスティテュートで、元 Vogue 編集者の ダイアナ・ヴリーランド のもとで無給の見習いとして働いたとされています。
その後、アンディ・ウォーホル の仕事場を経て、Interview などの周辺へつながった流れが紹介されています。
自分はここが一番現実っぽいと思いました。
最初からスポットライトを浴びたわけではなく、無給で入って、空気を読みながら席を取っていく始まり方です。
映画は派手な衣装を見せますが、その前にこういう地味な出入り口があると知ると、見え方が変わります。
雑誌の肩書きと役割
アンドレ・レオン・タリーは、Women’s Wear Daily でパリ支局長を務めた経歴が紹介されています。
そして Vogue では、1983年から1987年にファッションニュース・ディレクター、1988年から1995年にクリエイティブ・ディレクター、1998年から2013年にエディター・アット・ラージを務めたとされています。
映画の中では「大きな人が最前列にいる」ように見える場面が多いです。
でも現実は、雑誌のページで使う写真を決める会議、撮影の段取り、原稿の締切、取材の連絡、そういう細い作業の積み重ねが先にあります。
肩書きは飾りではなく、作業の責任が増えた結果です。
映画「アンドレ・レオン・タリー 美学の追求者」アンドレ・レオン・タリーの死因と晩年



アンドレ・レオン・タリーは回想録「The Chiffon Trenches」を2020年に出版し、雑誌の世界の人間関係や現場の話をより具体的に書いたと報じられています
自分は映画を先に観たので、回想録の存在をあとから知って、映画の中の笑顔が別の角度で気になりました。
死因は心臓発作と報じられている
アンドレ・レオン・タリーは2022年1月18日に73歳で亡くなったと報じられています。
複数の報道では死因を心臓発作としています。
死因を知ってから映画を見返すと、派手な衣装より、息継ぎの回数や椅子に腰を下ろす動きが気になりました。
自分はこの感覚が苦手です。
映画を楽しむつもりが、体調を心配する目線が入ってしまうからです。
亡くなったあとも名前が出続ける理由
追悼記事でよく出るのは、アンドレ・レオン・タリーが四十年以上にわたってパリのショーの最前列に座り続けたこと、取材を取り、撮影を組み、表紙を取り付ける動きをしていたことです。
ここは言い方を変えると単純です。
アンドレ・レオン・タリーの名前が出ると、デザイナーや編集者が動く。
アンドレ・レオン・タリーの名前が出ないと、話が通りにくい。
そういう場面が長く続いた、ということです。
映画「アンドレ・レオン・タリー 美学の追求者」実話と映画の比較
同じ出来事でも、カメラが向いた場所だけが映像になります。
映画で見える範囲と、実話で分かる範囲を分けて整理します。
映画が映している範囲
映画 アンドレ・レオン・タリー 美学の追求者 は2017年のドキュメンタリーで、監督は ケイト・ノヴァク です。
登場人物として アナ・ウィンター、トム・フォード、マーク・ジェイコブズ、ウーピー・ゴールドバーグ、ヴァレンティノ などが紹介されています。
映画の軸は、祖母の家で育った話、図書館で雑誌を見た話、ニューヨークで仕事を始めた話、ショー会場での仕事、2016年選挙のショック、地元への帰郷です。
ここまでは映画の中で確認できます。
映画が省いている範囲
実話のアンドレ・レオン・タリーは、Women’s Wear Daily のパリ支局長、複数の媒体への寄稿、長期間の編集業務など、仕事の量が多い人物です。
映画は、この仕事量を全部は映しません。
理由は単純で、全部映すと映画の尺が足りないからです。
映画は「仕事の量」より「人となり」を優先します。
さらに、2020年の回想録や、2022年の訃報は映画の公開後なので、映画の中には出てきません。
映画だけで「最後まで分かる」と思うと、2017年以降の情報が抜けます。
映画と実話を並べたときに変わる見え方
映画のアンドレ・レオン・タリーは、自宅で語り、カメラに向かって笑い、パリでフランス語を話し、テレビでコメントします。
実話のアンドレ・レオン・タリーは、肩書きの時期や媒体がはっきりしていて、雑誌の中で役割が変わった時期も確認できます。
自分は、実話の役職や年代を知ったあとで映画を見返して、最前列の場面の見え方が変わりました。
最前列に座っているのは「偉いから」ではなく、雑誌の紙面を作る仕事があるからです。
最前列から帰ったあと、原稿や電話や調整が待っている。
そう考えると、マントみたいな服が「衣装」だけに見えなくなります。
まとめ
映画 アンドレ・レオン・タリー 美学の追求者 は、アンドレ・レオン・タリーの少年時代から2010年代までを映し、祖母ベニー・フランシス・デイヴィスの家、図書館の雑誌、ニューヨークの仕事、ショー会場の最前列、選挙のショックまでをつないで見せます。
実話のアンドレ・レオン・タリーは1948年10月16日生まれで、Vogue でファッションニュース・ディレクター、クリエイティブ・ディレクター、エディター・アット・ラージを務めた経歴が確認できます。
死因は心臓発作と報じられ、2022年1月18日に亡くなったという情報も複数の報道で確認できます。
映画は映画で完結しますが、映画の外に回想録と訃報があります。
映画を観たあとにプロフィールと死因を確認すると、最前列の場面の見え方が変わります。
アンドレ・レオン・タリーは「派手な服の人」だけではなく、雑誌の仕事で席を取り続けた人だと分かります。

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