映画「あいつの声」実話の犯人は?映画との比較も紹介

映画「あいつの声」実話の犯人は?映画との比較も紹介
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映画「あいつの声」は、韓国社会を揺るがせた実際の事件を基に作られた作品です。

公開当時から「胸が締め付けられる」「本当にあったことだと思うと涙が止まらない」といった声が多く、社会問題をえぐり出す映画として記憶に残っている人も多いでしょう。

この記事では、実際に起きた誘拐事件と映画版の違い、さらに犯人像について掘り下げてみます。

当時の報道を追いかけていたので、ただの解説だけではなく、あの頃に感じた空気感も交えて書いていきたいと思います。

 

目次

映画「あいつの声」の実話とは?

映画「あいつの声」実話の犯人は?映画との比較も紹介

映画「あいつの声」は、1991年に韓国で発生した「イ・ヒョンホ君誘拐殺人事件」を基にしています。

ソウル近郊で発生したこの事件は、小学生のイ・ヒョンホが下校途中に連れ去られ、身代金を要求する電話が家族のもとへかかってきたことから始まりました。

犯人は複数回にわたり、録音テープを使って身代金の受け渡しを指示しました。

警察も動いていましたが、犯人の要求通りのやり取りを行うことができず、事件は迷宮入りしてしまいます。

結局、イ・ヒョンホは命を落とし、犯人も逮捕されないまま時効を迎えてしまったのです。

この事件の記憶は、韓国社会に深く刻まれました。

ニュース番組でも何度も再検証され、未解決事件として国民的なトラウマのように語られてきました。

当時、まだ幼かった自分も親がテレビを見てため息をついていたのを覚えています。

「どうして捕まえられないんだろう」と子供心に不思議で仕方なかったものです。

 

犯人像と未解決の影

イ・ヒョンホ君誘拐殺人事件の最大の特徴は、犯人が特定されないまま時効を迎えたことです。

警察は事件後、数万人規模の筆跡鑑定や通話記録の洗い出しを行いましたが、決定的な証拠は得られませんでした。

犯人の声を録音したカセットテープが公開され、その不気味な声は多くの人の耳に焼き付いています。映画タイトルの「あいつの声」はまさにそこから来ています。

では、犯人はどんな人物だったのでしょうか。

事件当時、声の特徴や要求の仕方から、30代から40代の男性と推定されました。

警察は「一人で計画した可能性が高い」と見ていましたが、地域事情に詳しい人間が協力していたのではないかという見方も根強くありました。

未だにネット掲示板やSNSでは「犯人は近所の誰かだったのでは」という推測が繰り返し語られています。

今の時代ならDNA鑑定やAI解析で声紋を照合することもできるでしょうが、当時の捜査環境では限界があったのでしょう。

自分自身が当時の記事を後から読み返して驚いたのは、警察内部の連携ミスや報道による情報漏れが捜査を混乱させた点です。

映画を観たときにも、そのあたりの苛立ちがリアルに描かれていて「そうそう、こんな感じだった」と妙に納得してしまいました。

未解決だからこそ、犯人の存在は霧の中で、恐怖だけが鮮明に残っているのです。

 

映画に描かれた犯人の声

映画の中では、身代金要求の声が強烈なインパクトを残します。

実際の録音を模倣しているため、観客も不気味さを感じざるを得ません。

俳優が顔を出さない形で「声だけ」で存在感を放つという演出は、現実と同じように「犯人はどこかにいるが姿は見えない」という恐怖を際立たせていました。

事件を知っている世代からすれば、映画館であの声を聞くだけで背筋が凍ったのではないでしょうか。

 

映画「あいつの声」実話と映画との違い

映画と実際の事件は大枠では同じですが、細部には脚色があります。

映画ではイ・ヒョンホにあたる少年の名前をイ・ヒョンスと変えていますし、家族のキャラクターや警察の描写にもフィクション要素が盛り込まれています。

けれども、基本的な展開は実話に忠実です。

学校帰りに少年が姿を消し、電話が鳴り続け、家族が振り回される。

警察の対応が遅れて、最悪の結果になる。

観客は「これは本当にあったことなんだ」と突きつけられる構造になっています。

 

少年の名前が変更された理由

実際の事件で犠牲となったのはイ・ヒョンホでしたが、映画ではイ・ヒョンスと名前が変えられています。

これは、遺族への配慮や直接的な実名使用を避けるためだったといわれています。

映画を観ていると現実そのものに近い描写が続くので、名前が少し違うだけでも「これは映画」という距離感を持たせる効果があったのかもしれません。

個人的には、この変更がなかったらあまりに生々しく、正直観ていられなかったかもしれないと感じます。

 

家族の描写に込められたフィクション

映画では父親のキャラクターが強く描かれており、時に警察と衝突しながらも息子を助けようと必死に動きます。

実際の報道では家族の詳細なやり取りまでは明らかになっていませんが、映画は家族の心理を想像で補っています。

この部分があるからこそ、観客は「もし自分が同じ立場だったら」と感情移入してしまうのです。

自分も父親が何度も受話器を握りしめる場面で胸が締め付けられ、映画館の暗闇で思わず深く息を吐いていました。

 

警察の描写と現実との違い

現実の警察は、組織内部の連携不足や情報漏洩によって捜査が混乱しました。

映画でもその無能さはしっかり描かれていますが、実際よりもドラマ性を強めています。

例えば、指示を誤って身代金の受け渡しに失敗する場面や、父親が怒りを爆発させる場面は、観客の怒りを代弁するように脚色されています。

現実の事件を知っていた自分からすると「やっぱりそこは触れてくるか」と納得しつつも、同時にフィクションだからこそ表現できた苛立ちがあるように思えました。

 

犯人の声の再現度

映画の肝になっているのは犯人の声です。実際の事件で録音された声はニュースや特番で公開され、多くの国民が耳にしました。

映画ではその特徴を忠実に再現していて、観客は「これはあの声だ」とすぐにわかる不気味さを味わいます。

映画を観ていて、過去にテレビで聞いた声が脳裏によみがえり、思わず鳥肌が立ちました。

声だけで人を震え上がらせる力があるというのは、映画ならではの表現でありながら現実の恐怖そのものでもあります。

 

 

映画「あいつの声」の社会的影響

映画の公開は、事件の記憶を再び社会に浮上させるきっかけになりました。

事件から十数年経っても、多くの人が「あの声」を忘れていなかったことに驚かされます。

映画の反響で「未解決事件をもう一度捜査してほしい」という声も強まりました。

日本でいう「未解決事件特集」が盛り上がる感覚に近いですが、韓国では国家全体の記憶として残っていたのです。

映画館でこの作品を観たとき、周りの観客がエンドロール後も黙ったまま席を立たなかった光景を今も覚えています。

娯楽映画ではなく、事件を追体験する儀式のような重みがありました。

 

未解決事件としての記憶

事件は未解決のまま時効を迎え、韓国社会に深い傷を残しました。

映画を通して改めて「あの時代の痛み」がよみがえり、多くの人がSNSや掲示板で事件を語り直しました。

自分も映画を観た直後、インターネットで事件の記事を読み漁ってしまい、気づいたら深夜になっていたのを覚えています。

それだけ強烈に「まだ終わっていない事件」として心に刻まれたのでしょう。

 

韓国社会への問いかけ

映画はただ事件を再現するだけではなく、韓国の司法や警察の限界を突きつけました。

もし当時もっと迅速に捜査が行われていたら、もし最新技術が導入されていたら、救えた命だったのではないか。

観客は「どうして?」という問いを突きつけられます。

映画を観終わった後は単なる娯楽ではなく「社会批判のドキュメンタリー」を見たような気分でした。

 

まとめ

映画「あいつの声」は、1991年のイ・ヒョンホ君誘拐殺人事件をもとに作られた作品です。

実際の事件は犯人が逮捕されないまま時効を迎え、未解決のまま韓国社会に深い傷を残しました。

映画は実話を忠実に再現しつつも、登場人物や展開にフィクションを交えることで観客がより没入できる形に仕上げられています。

特に犯人の「声」が強烈な不気味さを持って描かれ、現実の恐怖を呼び覚まします。

自分の感覚としても、この映画はただの犯罪映画ではなく「事件を忘れてはいけない」という社会的なメッセージを放っているように感じました。

もしまだ観ていないなら、ぜひ一度目にしてみてください。

事件のことを知らない人にこそ、強烈な体験になるはずです。

そして観終わった後、なぜ未解決のまま時効を迎えてしまったのか、韓国の司法や警察の在り方にまで思いを馳せるきっかけになるでしょう。

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