映画『凶悪』を観たあと、胸がざわついて眠れなかった夜がありました。
演技がどうとか、脚本がどうとか、そういう感想よりも先に浮かんできたのは「これって本当にあった話なんだよな」という事実へのショックでした。
この映画のモデルになったのが「上申書殺人事件」。
この事件を知ることで、映画の怖さは一段とリアルに迫ってきます。
映画「凶悪」実話の「上申書殺人事件」とは?
映画『凶悪』を観て、ずしんと重いものが残った人は多いと思います。
実際にあった「上申書殺人事件」をベースにしているって知ってから、もう一度観返したくなったというか、現実ってここまで冷酷になれるのかと背筋が冷えました。
上申書殺人事件はどうして発覚したのか
実話としての「上申書殺人事件」は、まさに「凶悪」というタイトルにふさわしいものです。
そもそも発覚のきっかけが、他の事件で逮捕されていた死刑囚が検察に出した“上申書”だったという点が恐ろしい。
当時、複数の強盗殺人事件で逮捕されていた男が、自らの関与した別の殺人について申し出たことが、すべての始まりです。
裁判で有利になるためという動機だったとも言われていますが、検察はその供述を真剣に受け止めて再捜査を開始。
その結果、これまで見過ごされていた殺人が次々と明らかになっていきました。
この流れ、映画を観ていると既視感がありますよね。
山田孝之が演じた記者のもとに届いたひとつの告発が、じわじわと全貌をあばいていく感じ。
あのヒリつくような展開の裏に、現実の事件があると思うと、観る目がガラッと変わってしまいます。
実際の事件はどれだけ残酷だったのか
映画の中でもかなりショッキングな描写が出てきますが、実際の事件はそれを上回っていました。
特に印象に残っているのが、高齢者を狙って言葉巧みに近づき、財産を奪うために次々と殺害していった手口。
しかも、犯行には複数の人物が関与していたという点もポイントで、それぞれの関係性も複雑だったそうです。
ひとつの命が奪われるたびに、周囲は沈黙し、事件は深く静かに潜っていく。
その冷たさに、ただの金銭目的では片付けられない異常性を感じます。
映画では“先生”と呼ばれる人物が絶対的な支配力を持ち、他の加害者が逆らえないような構図がありましたが、実際もかなり近い構造だったようです。
しかも、その“先生”は表の顔では教育者であり、周囲からも一見信頼されていたというのがまた怖い。
人は見た目じゃわからない、ってよく言いますが、ここまでくると信じることが難しくなってしまいます。
被害者は誰だったのか
この事件では、複数人の高齢者が金銭目的で命を奪われたとされています。
特に目立っていたのが、孤独で頼る相手が少ない人たちが狙われていたという点です。
共犯者たちは家族のふりをして介護施設に連れていったり、身元保証人になったりして近づきました。
その後、残酷な方法で命を奪い、財産を奪っていたんです。
なんというか…冷静に聞くとものすごく手が込んでいて計画的。
でも、それをやってのけた人間がいたというのが恐ろしいです。
映画「凶悪」と実際の事件の違い
了解しました。以下に、映画『凶悪』と実際の「上申書殺人事件」との違いについて、H3見出しを使って深掘りし、親しみのある口語調・主観・SEOを意識した自然な文体で詳しく解説します。
映画「凶悪」と実際の事件の違いを深掘りしてみる
『凶悪』を観たあと、これってどこまで実話なんだろう?って思った人、多いはずです。
自分も観終わったあと、妙にリアルだなと感じて調べずにはいられませんでした。
あの映画、実はかなり忠実に描かれている部分もあるんですが、映画ならではの脚色もけっこう入ってるんです。
ここではその違いを細かく見ていきます。
記者が主役という構成は映画独自の演出
映画の物語は、山田孝之が演じた雑誌記者の視点で進んでいきますよね。
死刑囚からの告発を受けて真相に迫っていく構成が、ドキドキさせてくれるわけですが、実際の事件では記者がここまで深く関わっていたわけではないんです。
現実の「上申書殺人事件」が明るみに出たのは、死刑囚が自ら検察に提出した“上申書”がきっかけ。
映画のように、記者が独自に調査して、すべての糸をたぐっていくわけではありませんでした。
記者視点にすることで物語としての臨場感や緊張感がグッと増したので、これは映画的な演出としての違いと言えそうです。
犯人の人物像や関係性の描写がアレンジされている
映画での“先生”ことリーダー格の人物、かなり強烈でしたよね。
淡々とした話し方なのに、ものすごい支配力を感じて、こっちまで息が詰まりそうになりました。
実際にも似たような立場の人物がいたのは事実なんですが、性格描写やキャラの際立たせ方はやや誇張されています。
さらに、映画ではその“先生”が複数人を操って犯行に及んでいく様子が丁寧に描かれていますが、実際の事件では登場人物たちの関係性がもっと複雑で、グラデーションのような曖昧さがあったようです。
映画ではわかりやすくするために、主従関係をはっきりと描いている印象を受けました。
あと、映画に出てくる“元暴力団員”のキャラクターも、実在する人物をモデルにしつつ、話を盛ってある部分があります。
とはいえ、完全なフィクションじゃなくて、リアルな出来事をベースにしてるからこそ、妙に生々しい空気が漂ってるんですよね。
被害者の描写や事件の背景はぼかされている
これは映画を観ているとなんとなく気づくかもしれませんが、被害者の描写はかなり抑えられています。
名前や背景が具体的に語られることはほとんどなく、あくまでも“被害者”として描かれるのみ。
これはおそらく、実在する遺族への配慮や、法的なリスクを考慮しての判断だったのかもしれません。
実際の事件では、複数の高齢者が標的になり、巧妙に信頼を得た上で殺害されていきました。
でも映画ではその経緯を詳細には描かず、あえて“事件全体の異常さ”や“加害者側の狂気”に焦点を当てています。
その分、観ている側が想像する余白ができて、余計に怖さが残るんですよね。
また、事件の背景となる社会構造や制度的な問題にはあまり踏み込んでいません。
たとえば、高齢者の孤立とか、詐欺被害への無防備さとか、本当は掘り下げられる部分も多いんですが、映画ではそこまでは触れずに進んでいきます。
これは2時間という枠の中で、「狂気」を描くことに絞った結果なのかもしれません。
なぜこの事件が映画化されたのか
事件そのものが衝撃的だったことはもちろんですが、それ以上に「なぜ誰も止められなかったのか?」という疑問が大きかったのだと思います。
犯行は長期にわたり、複数人で行われていた。誰かが途中で気づいてもおかしくなかったのに、なぜ。
映画『凶悪』はその問いをずっと突きつけてきます。
ただの犯罪映画じゃなくて、人間の闇をじっと見つめさせるような感覚。
観ていて苦しいし、不快だし、それでも目が離せない。
自分にとってはそんな映画でした。
フィクションであってほしいと思いながら、実際にあった出来事だと知っているから、より胸がざわつく。
登場人物たちの行動を見ているうちに、自分の中のモラルの輪郭みたいなものが曖昧になっていく気がして、ちょっと怖かったです。
映画の中のセリフや視線のひとつひとつに、見えない圧みたいなものがありました。
それが「実話を描く」ということなのかもしれません。
もちろん脚色はあると思いますが、それでも骨格にあるのは現実なんですよね。
この映画、気軽におすすめできるものではありません。
でも、人間の怖さを知りたいと思ったら、そしてその怖さがどこから来るのかを考えたいなら、一度観る価値はあると思います。
観る前と観た後で、自分の中の何かが確実に変わるはずです。
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